昔,六甲に宇仁菅書店という古書店がありました。その本屋を紹介する本を古書祭りで見つけました。「三都古書グラフィティ」というもので,出版された当時(1998年)の姿をよく表しています。
店主の親父さんとの間でこんなことがありました。
古本に適正な価格が付けられていたら,その本を欲しい人にちゃんと渡るのにと私が言いました。
親父さんはしばらく考えて,「本には原価はないのだよ」と言われました。古本は一度捨てられて冥界に行ったものを,古本屋の目と手を通して取り返してきたものである。だから古本は価格が支配する世界にはない。だから古本は価格によって動かされたりはしない。そういう話をされました。
またこんなこともありました。図書館に行く前に検索して,その本があるかどうか調べられるようになって便利になったと私が言った時です。急に親父さんが険しい顔になって言いました。
毎日1冊読むとして,一年間で300冊読める。では神戸大の蔵書200万冊から300冊を読むことと神戸大の開架にある2万冊から300冊を読むことはどちらがよいのだろうか。私は2万冊から300冊を読む方がよいと思う。いや2万冊から300冊を読むよりもここにある300冊から300冊を読む方がよいと思う。
私がまだいぶかしそうにしていると,言われました。
まだわからないのか。1冊の中の1冊をどうして君は読むことができないのか。ないことをどうにかするのが学ぶことではないのか。
この古本屋に行けば怒られて帰るというのが常でした。でもそれは私に対するエールでした。古本屋さんが作る機関紙「彷書月刊」1998年3月号(震災3周年特集号)に私のことを1行だけ書いてくれたのでした。