前回の投稿から1年以上の時間が経ってしまいました。書けないでいたのは,誰に対してどのようなことを書くのかがわからなくなってしまったからです。
最近,このことの解答を教えてくれる本に出会ったのです。
それは,ナイチンゲール「看護覚え書━看護であること,看護でないこと」でした。
「はじめに」にこうあります。
「この覚え書は,看護の考え方の法則を述べて看護婦が自分で看護を学べるようにしようとしたものではけっしてないし,ましてや看護婦に看護することを教えるための手引書でもない。これは他人の健康について直接責任を負っている女性たちに,考え方のヒントを与えたいという,ただそれだけの目的で書かれたものである。
英国では女性の誰もが,あるいは少なくともほとんどすべての女性が,一生のうちに何回かは,子供とか病人とか,とにかく誰かの健康上の責任を負うことになる。言い換えれば,女性は誰もが看護婦なのである。日々の健康上の知識や看護の知識は,つまり病気にかからないような,あるいは病気から回復できるような状態にからだを整えるための知識は,もっと重視されてよい。こうした知識は誰もが身につけておくべきものであって,それは専門家のみが身につけうる医学知識とははっきり区別されるものである。
さて,女性は誰もが一生のうちにいつかは看護婦にならなくてはならないのであれば,すなわち,誰かの健康について責任をもたなければならないのであれば,ひとりひとりの女性がいかに看護するかを考えたその経験をひとつにまとめたものがあれば,どんなにか汲めどもつきない,またどんなにか価値あるものになるであろうか。
私は,女性たちにいかに看護するかを教えようとは思っていない。むしろ彼女たちに自ら学んでもらいたいと願っている。そのような目的のもとに,私はあえてここに幾つかのヒントを述べてみた。」
これを読んで私は,これが私のやるべきことであるとわかりました。
一生のうちにいつかは受験生にならなくてはならない人たちに対して,いかに学ぶかのヒントを与えること。そしてそれは自らの経験において身に染みたことでなければならない。
これからは,この方針で書いていくことにします。